静岡川柳たかねバックナンバー
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霜石コンフィデンシャル73   高瀬 霜石

「私は干物になりたい」

 去年も、120本ほどの映画を観ることができた。僕の周囲の全ての皆様のお陰だと、感謝している。ときおり、あまりカンケーのない人からも、「映画観るヒマも、ジェンコもあって、いいでばしー」 と言われたりもする。「ヒマは作るもの。ジェンコだって、1本千円として、月に1万円。パチンコだの、ゴルフだのと比べたら、格段に安いべな」などと、反論したりしていたが、最近はそんな野暮なことはまず言わない。「そですネ。オラはシアワセ者です」などと呟き、宮沢賢治風に、いつも静かに笑っているのであります。
 モントリオール映画祭でグランプリに輝いて一躍有名になった「おくりびと」は、納棺師の物語。2月になると、いろいろな映画賞が話題になるが、今年の日本アカデミー賞の主演男優賞は、モッくんこと本木雅弘にまず間違いがないと感じた。それほどの演技であった。
 ついでに、いつもはクサイ芝居の山崎努も――「クロサギ」というとても出来の悪い映画にも出ていたが――今回はよかった。助演男優賞当確か。個人的には、12月号に書いた「三本木農業高校、馬術部」で先生役をやった柳葉敏郎にあげたいですがねえ。
 ついでのついでに書くと「おくりびと」の唯一の失点は、奥さん役の広末涼子だろう。映画を観るとたいていその女優のファンになってしまうほど僕は惚れやすいのだが、彼女は一度もいいと思ったことがない。
 葬儀社に勤務し、納棺の仕事に携わった体験を綴った『納棺夫日記』(著者は青木新門という詩人)なる本に、「30年以上前には自宅死亡も多く、枯れ枝のような死体によく出会った」とある。
 事故死などを除いて病院での死亡が当たり前になった今日では、ぶよぶよした死体が多くなったとある。
 口から食べ物がとれなくとも点滴で栄養が補給されているために「晩秋に枯れ葉が散るような死」が姿を消してしまったという。
 自宅死亡は望むべくもないが「私は枯れ枝のような死を選ぶ」と著者は言う。僕も同感だが、それって遺言に書いても「後の祭り」だろうし、さて困った。
 

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(2009/03/29(Sat) 14:51:40)

霜石コンフィデンシャル72   高瀬 霜石

「どうにも止まらない」

僕の生業〈自動車部品販売業〉の関係で、ホンダ技研の本拠地、三重県・鈴鹿市へ行って来た。
 1日目は、自動車の組み立て工場「鈴鹿製作所」の見学。とにかく広い。敷地は27万坪だとさ。働いている人は9千人だとさ。だけど、工場内に人はまばら。
 鉄板のプレスとか、溶接とか、塗装とかは全部ロボットがする。大方できあがったクルマの中へ、座席を据え付ける―重い座席をひょいと持ち上げ、ドアの部分(ドアは最後の最後に付ける)から、90度くらいひねって中に上手に押し込みセットする―のもロボットの仕事。人間さまは、ネジを締めるだけ。
 重いタイヤを取り付けるのもロボット。同じように、ネジ締めてOK。クルマはロボットが作っていると言っても過言ではない。
 その夜の懇親会。美人の司会者が、乾杯の音頭は本日のスペシャル・ゲストがとりますと言うので、誰が出てくるのかと期待したら、舞台の袖から登場したのは、なんとホンダのロボット《アシモ君》であった。
 懇親会と言っても、次の日は朝早くから「試乗体感ツアー」があるから、酒はほどほどにする。
 2日目。4人一組で車に乗り込み、交替で運転し、いろんなカリキュラムを体験するのだが、まずは、雨の道路(常に路面がジャブジャブ状態)を時速40km で走り、思いっきり急ブレーキをかける。はたして何m走って止まるだろうか、の実験だ。
 我々中高年は、ブレーキをドンと踏めない。そう教わって、ずーっとそうしてきたから、身体に拒否反応がある。今の車には、ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)が付いているので、ドンと踏んでも、車がケツを振ったり一回転したりはしないので大丈夫だと、頭では判っているが、とても怖い。
「親の仇だと思って」、今ならさしずめ「社会保険庁だと思って」思いっきり強くブレーキを踏む。
 4〜5mでどうにか止まる。次は、時速60kmで突っ込み、急ブレーキ。制動距離は12mまで延びる。
 いよいよ雪道(これも常に路面がシャーベット状態)
である。時速40kmで走り、急ブレーキ。ABSがググッと反応するが、車はアレー止まらない。滑るは、滑るは、なんと30m。身体がギュッと縮こまる。
 冬は特に安全運転。自分のためにも他人のためにも。
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(2009/02/29(Sat) 14:50:10)

霜石コンフィデンシャル71   高瀬 霜石

「エ コ ひ い き」

「三本木農業高校、馬術部」を観た。とても、いい映画であった。主演は、長渕文音。この娘の父親は、カリスマ歌手の長渕剛。母親は、かつて千葉真一が主宰したアクション俳優養成所(JAC)の女優第一号だった志穂美悦子だが、まあ、それはどうでもいいこと。
 長渕文音は、いわゆる美少女ではない。お母さんの方がずーっと美人なのだが、この映画では、それがかえってよかった。そのへんにいそうなフツーの女の子が、障害がある分、気難しい馬の世話をしながら、苦労もし、ちょっぴり恋もしながら、じょじょに大人になってゆく、さわやかな青春物語である。
 彼女が世話をするタカラコスモス(通称、コスモ)は、目に障害があるが、生かされている。一方で、足を骨折した馬は、薬殺されるのが運命だ。
 僕は前々から、この「競争馬の安楽死」が理解できなかったのだが、実はこういうことなのだ。
 体重が四、五百キログラムもある馬。農耕馬のような頑丈な馬ならまだしも、ひたすら速く走るように、つまり精密機械のように《作られている》競争馬は、残った三本の足でその重量は支えられず、蹄が血液循環障害を起こして壊死してしまうのだそうだ。このため、馬は耐え難いほどの痛みに狂い死にするか、衰弱死してしまうという。これは、やっかいだ。
 それなら足に負担をかけないように、人間のように横になって治療を受けさせればよさそうだが、馬は寝返りを打てないので、すぐ床擦れを起こし、敗血症になってしまうので、これも駄目。競争馬自身、自分が動けない状態というのをまったく想定していないので、ストレスが溜まり、馬にとっては命取りになる腹痛を引き起こすという。まさに八方塞がりだ。
 この映画、最近の邦画によくある安易なお涙頂戴映画ではないのは、ひとえに佐々部清監督の手腕であろう。特に、先生役の柳葉敏郎がよかった。
 この人の演技は、いつも固いというか、力が入り過ぎて困ったものだったが、今回はまるで違った。
 青森県が舞台だったから「依怙ひいき」だろうと思う人がいるかもしれないが、それは違う。
 まあ、しいて言えば、三本木の《四季の美しさ》と、柳葉敏郎の《自然》な演技に対しての、ごくごく素直な「エコひいき」と思ってください。
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(2009/01/29(Wed) 14:48:05)

霜石コンフィデンシャル70   高瀬 霜石

「味 な 贈 り も の」

どんな本で読んだかは、もう忘れてしまったが、小学生の女の子が書いた作文でこんなのがあった。
 台所の隅にまだ使っていないまな板があったので、これはいつから使うのかと、彼女は母親に聞いた。母親は、その新しいまな板は、事情があって、今はまだ使えないと言う。それは、おばあちゃん(母の母)からの贈り物だという。その時は不思議に思ったけれど、あとで理由がわかった。
 がんの再発で入院することになり、もう家には戻れないことをさとったおばあちゃんが、娘(この作文ででの母)にまな板を渡して、こう言ったそうだ。
「もし、私が死んだら、みなは忙しいから、私のことなど思い出すこともないだろうけれど、でも、台所でまな板をトントン叩くと、きっと私のことを思い出してくれるんじゃないかしらねえ」
 母親は、その言葉を聞いて泣いてしまい、何も言えなかったそうだが、この作文の小学生の少女は、最後にこうまとめていた。
「人間は、人生の最後に自分の家族に何を残せばいいのだろうかとふと考えました」
 九月の初め、僕より二つ年上のMさんが、突然亡くなった。M先輩は博学多才で、世事に疎い僕に、世の中の仕組みをいろいろ教えてくれた先生でもあった。
 昔むかし、青年会議所(JC)に所属していた頃、「好きなラーメン屋」のアンケートをとったことがあった。飲んだ後の参考にしようとの下心もあった。
 M先輩の答に「薮きんの中華そば」とあったので、当時まだ青臭かった僕は、先輩に尋ねた。
「M先輩。《藪きん》は、オラもよく行きますがねえ。あそこは、一応、日本蕎麦屋ですよねえ」
「タガセ。まず、一回食ってみろ。話はそれからだ」
 以来、二十数年。週に最低一回は通っている《藪きん》である。もちろん中華そばばっかり注文しているわけではないが、中華そばのインパクトは強い。
 M先輩が亡くなったと知った次の日の昼、《藪きん》で中華そば食おうと思って、暖簾をくぐった瞬間、ふとこのことを思い出したのだ。
「おい、タガセ。俺はお前にいっぱいモノを教えてきたが、とどのつまり思い出すのは、中華そばだけかよ」と、天国であきれていることだろう。合掌。
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(2008/12/29(Sun) 14:45:33)

霜石コンフィデンシャル68   高瀬 霜石

「キーホルダー」

僕の会社は、今年で創業六十年になる。一般に会社の平均寿命は、約三十年といわれている。今日までの長い不況のトンネルと、もの凄いスピードでの環境変化の激しさを加味すると、実際はもっと短くなっていると思うが、とにかく六十年はたいしたものなのだ。
僕は二代目。戦後間もなく、満州から引き上げてきた父と母が、その頃はまだ珍しかった自動車の部品を商った。当時は、自家用車は余程の金持ちじゃないと無理で、街を走っていたのは、バス、ハイヤー、タクシー、公用車、稀に大きい商店の宣伝用の車くらいだったという。
父が三十年、僕が三十年、会社は細胞分裂もせず、ずーっと一店舗。「小さくても元気」「少数精鋭」の心意気でやってきた。
僕が社長になってからは、給料は勿論、ボーナスも前年より下げたことがないのが自慢といえば自慢だろうか。但し、据え置きはありますよ。定着率がいいので、お客様からの信頼度も高く、今のところ歯車は順調だ。
数年前のある日のこと。十年選手の一人が突然辞めたいと言ってきた。去る者は追わず主義の僕だが、気立てのいい若者なので話をじっくり聞いた。
仕事に不満はないが、転身したいと言う。そういうことなら、気持ちよく送り出すしかなかった。それから約一年後、彼は自殺した。
「おたくを辞めてからは、どこへ勤めても長続きしなかった」と言う僕と同い年くらいのご両親の言葉に、僕は引き止めなかったことを後悔した。
 彼は、鍵がいっぱいのキーホルダーを、いつもこれみよがしにベルトにぶら下げていたのを、ふと思い出した。
 「バカヤロー。あんなに沢山あった鍵の束の中に、ひとつくらいお前の未来の扉を開ける鍵がなかったのかよ」と遺影に向かい、胃の腑で叫んでいた。

 キーホルダーじゃらじゃら軽いいのちかな 霜 石

 それから一年が過ぎた。ある新しい温泉ホテルの開館前のセレモニーに招待された。風呂、部屋、料理、接客サービスなどの意見を聞かせてくれというのだ。モニターだから、当然無料。大手を振って出かけた。
 大広間での懇親会で、偶然彼のお母さんと遭った。すぐに彼女は僕にお酒を注ぎに来た。友達が気晴らしにと誘ってくれたので、重い腰を上げたのだと言う。
 彼の思い出をぽつりぽつり語り合っているうちに、彼女は泣き出した。楽しいはずの宴会場で、中年男が中年女を泣かせているのはいい図ではない。こういう時は、つい優しい言葉をかけてしまうが、これが実はいけない。シクシクが、オイオイになってしまうからだ。子に先立たれた親の気持ちは誰にも判るはずがない。あれ以来、温泉に浸かると、彼女の大きな涙粒を思い出す。

 母さんの涙に勝てるわけがない      霜 石

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(2008/10/07(Mon) 13:38:23)

霜石コンフィデンシャル67   高瀬 霜石

「悲しきシャトルバス」
 
友人に誘われて、あの有名な大曲の花火大会に行ったのは、数年前の8月のこと。凄かった。
 今年は、浮世の義理で「古都ひろさき花火の集い」の券を買ったので行って来た。あまりのヒドサに腹がたったので、今後の参考までにお知らせする。花火の数とかスケールのことではない。その「心根」の話である。
 時は、平成20年6月21日(土)夏至の日のこと。
 前半は省略。帰りのシャトルバスが事件の発端。帰りのバスが混むだろうから、あらかじめ百円の切符を買って、早めに列に並んだのが9時頃。オラの前にはすでに百人くらいは並んでいて、その後もドンドン増え、見る間に長蛇の列になっていった。
 ふと坂の上の方を見上げると、ズラリ帰りのシャトルバスが待機している。こんなに待っている人が大勢いるのに、バスもちゃんと待機しているのに、なぜ乗せないのだろうと思い、列の先頭の係りに尋ねた。
「9時半にならないとバスは出ません」の一点張り。帰りたい人がこんなにいて、しかもバスも待っているのだから、順番に出せばと言っても、けんもほろろ。「分かった。では待つけど、子供も年寄りもいるのだから、こうして外で待たせていないで順番にバスに乗せれば。そして時間になったらすぐに出ればいべさ」と交渉したが、規則だからと、つっけんどん。
 やっと、9時半。それでも出ない。再度行きました。「花火が終わるまでは出せない。あなたの要望は来年の課題にします」と言う。人より花火が大事らしい。バカでねが!これには、普段温厚な動物であるオラも、さすがに頭にきて、吠えた。
「来年? 何喋ってるんだ。今ここに並んでいる人たちは、来年ここに来るわげねーべ」このやりとりを聞いていた皆から、そうだそうだの大合唱の応援を得て「来年でなぐ、今、考えて、今、行動しろじゃ」
 この後、実は、列の最初に並んでいた人たち(オラを含めて)が、アホな誘導員のせいで暗闇に置き去りにされる。バスには後から来た人がどんどん乗り、ミニ暴動が起こるのだが、書き切れないのでカット。
 まずルールありきで「ハート」がまるでない。弱者に思いやりゼロ。肝心な時に責任者がいない。どこかでみんな聞いたフレーズ。社会保険庁や厚生労働省の答弁と瓜二つだ。どうりで血が通っていないわけだ。
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(2008/09/29(Sun) 14:40:10)

霜石コンフィデンシャル66   高瀬 霜石

「 ま た 邂 う 日 ま で 」

前号に、弟の骨を拾いに上京したことを書いた。
「人生には、上り坂と、下り坂のほかに、もうひとつ坂がある。それは《マサカ》という坂だ」
 どこぞの保険会社の宣伝文句である。
 僕にしてみればマサカだったが、世間一般にはきょうだいの逝く順番なんてマサカの部類には入らない。マサカは、やっぱり親子のことだろう。
《俺に似よ俺に似るなと子を思ひ》
 ひとさまの前で川柳の話をする時に、まず一番最初に紹介するのがこの句だ。作者は、大正から昭和にかけて活躍をした大阪の川柳人・麻生路郎(あそうじろう)という人。
 自分の長所だけ似てくれ、頼むから悪いところは似ないでくれと願う親心。子供がいる人はもちろんのこと、いない人だって気持ちがよーく分かるはずだ。
 路郎は、四男五女をもうけた子福者だった。その子供たちの名前が、ロンドン、アート、一歩、奈菜、リリなど、かなりエパダ(津軽弁で風変わり)だ。
 長男の名前(ロンドン)は、英国の首都からとったの
ではなく。狼の研究などで有名なアメリカの作家、ジャック・ロンドンに因んだ名前なのだそうだ。
今ならまだしも、当時のことである。戸籍係が受け付けてくれなくて、揉めた。しかし、路郎はジョッパリ。粘りに粘り、ついに押し通した。
そのロンドンが、なんと小学生で亡くなる。
以下、ロンドンの一周忌の時に詠んだ句。
《お父さんはネ覚束なくも生きている》
《お前がいたらと思い出すと煙草ばかり吸う》
《お父さんはやはり川柳々々と言っているよ》
 愛する子を失った悲しみ。空虚な日々。路郎親子はたまたま学校の隣に住んでいたというから、皮肉だ。
《子を死なし学校に子の多いこと》
 こんなにも沢山子供がいて、そこらじゅうを駆け回っている。なのに、もうあの子はこの世にいない・・・。
《妻よ子よばらばらになれば浄土なり》
 この世に生を得て、たまたま夫婦として親子として暮らした。しかし、それはこの世にあってこその縁。
 亡くなれば、親も子もばらばらになって、浄土で生まれ変わるのだ。家族は来世も―たとえ順番が狂ったとしても―花や草や樹や鳥や虫になって、どこかできっと再会すると、路郎は思ったのだろう。
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(2008/08/29(Thu) 14:38:09)

霜石コンフィデンシャル65   高瀬 霜石

「灰 さようなら」

 僕には二つ違いの弟がいる。弟はなんでも器用で、無器用な僕は子供の頃からずいぶんと助けてもらった。僕らは兄弟というよりは友達のような間柄であった。
 僕が大学三年の時、弟も上京してきて、一緒に暮らした。器用な弟は、僕のやることを見ていられなくて、炊事も洗濯もみーんな彼がやってくれた。
 僕がサラリーマンになってからは、稼ぎの悪いのんべえ亭主(僕)と、やり繰り上手、料理上手しっかりものの妻(弟)という図式であった。
 もともとピアノが弾けたから音感がよかった弟は、僕が教えたギターも、すぐに僕よりも上手くなった。
 その後、弟は東京で音楽関係の仕事についた。大好きな仕事だったので、当時はいきいき動き回っていた。
 ― この一月某日。その弟がぽっくり逝った。―
 数年前に会社が倒産してから、生活が荒れていたのは知ってはいたが、僕の忠告を聞くような素直な弟ではなかった。それにしても突然であった。
 弟の遺志で、身内だけで葬儀を済ませた。何度か上京したが、行く度に、ぬれ雪が降った。
 斎場の火力が強いのか、荒れた生活のせいなのか、弟の骨はスカスカ、カサカサであった。その軽い骨箱を抱えて帰って来た新幹線の中での兄弟の対話。

僕「お前のことを思って歌を作ったよ。《弟を迎えに来たら雪になる 無頼なものの軽き骨箱》どんだ?」
弟「兄貴よ。川柳って五・七・五だろ?これってかなりの字余りではないのか?」
僕「馬鹿者。これは短歌だ。では、川柳を詠もうか。《わたしは泣き虫 おとうとは弱虫》どんだ?」
弟「これが川柳?五・七・五じゃないよ」
僕「(苦しまぎれに)上が八音、下が九音。足して十七音で、OKなのだ。では、お前にピッタリなのを詠んでやろう。《この世をば どりゃあお暇と 線香の 煙と共に 灰さようなら》これはどんだ?」
弟「兄貴。これはいい。なんとも粋で、豪快で、潔い。太く、短く生きた俺にはピッタシだ」
僕「そうか。実はこれは、十返舎一九の辞世の歌なのだ。狂歌といった方が正しいかもしれないな」
弟「そうだろう。とても兄貴の作とは思えなかったもの。レベルが違う。それにしても、やっぱり兄貴より俺の方がセンスがいいな」と骨箱が揺れた。
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(2008/07/29(Mon) 14:33:59)

霜石コンフィデンシャル64   高瀬 霜石 

 「パ ニ ッ ク ・ ガ ー ル」

 三月のある晩のこと。友人夫婦が遊びに来て、飲ん
で、帰ったのが十時頃。僕は玄関でサイナラをし、同
居人は表まで出て代行車を見送った。
 しばらくしても、同居人が入ってこない。そのうち
に玄関の方でなにやら話し声がする。なんだろうと行
ってみると、同居人の側に見知らぬ若い娘が立ってい
て、シクシク泣いているではないか。
 や、や、これは事件かと思うでしょ。そしたら、な
んてことはない。ケータイをトイレに流してしまい、
アセって公衆電話を探しに出た。あるわけがない。途
方にくれていたところ、同居人と会ったのだという。
「なんだ、そんなことか。じゃあ、とにかく中に入っ
て、いろいろ電話しなさいよ。それにしたって、泣く
ほどのことではないべな」と慰めたが、彼女はパニッ
ク状態。世にいうケータイ依存症ってやつですな。
 近所に住んでいる弘大生らしい。「私、大変なことし
でかしちゃった」などと、実家や友達に泣きながら話
しているのを聞いて、つい笑ってしまった。
《大変なことをしでかす》なんていうのは、人を轢い
たとか、刺したとか、金を使い込んだとか、そんな大
変な場合でしょ。たかがケータイですよ。
「落としたのなら、悪用されることもあるけど、その
心配ははいし、だいたい、アメリカの大学ではケータ
イ禁止なんだよ。知ってるかい?」とからかうと、「知
ってます。エーン。」とまた泣く。「どうだい。気晴らし
に一杯やる?」誘ったら、同居人に叱られました。
 甘いものでも食べれば落ち着くからどうぞと、同居
人がお茶とクッキーを差し出した。すると、彼女は、
半分泣きじゃくりながらも、こうのたもうた。
「ワタシってぇ、和菓子なら食べれるんですけどぉ、
洋菓子は、ダメなヒトなんですぅ」
 盛岡の実家に明日帰るという。こんなことでわざわ
ざ帰るかいと言うと、「だって実家が電器屋で、そこで
買ったものだから」と、また泣きべそをかいた。
 それから二日後の、夜八時頃。おそらく実家で持た
せてよこしたのだろう、大きな「南部煎餅」の袋を抱
えて、彼女はやって来た。
「オラってぇ、津軽煎餅は食べられるんだけどぉ、南
部煎餅は、ダメなオヤジなんですよぉ」なんてセリフ
をグッと飲み込み、ありがたく頂戴しました。(笑)
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(2008/06/26(Wed) 08:38:05)

霜石コンフィデンシャル63   高瀬 霜石 

 「 銀 座 の ペ ン の 物 語 」
 二月の初旬、東京へ行った。たいした雪でもないのに大雪と大騒ぎしていた。毎年一回は降るだろうに、すぐ交通ストップだ、転倒、骨折だとわめく。都会の人には学習能力というものがないのだろうかねえ。
 こっちは冬のプロ。厳重装備。日曜の昼に上野に着き、蕎麦を啜り、鈴本演芸場へ。二月号に書いた「紙切り」を手に入れようと思ったが、空振りだった。
 鈴本を出たところに、ツタヤ(どこにでもある)があったのでつい入った。こういう所には、中古のCDやDVDがあったりするので、店員に尋ねた。彼は僕の顔をじっと見て、こう言った。
「あのー、アダルトの中古品は置いてないんですが」
「オラが、いづ、アンタにアダルトと言った?」
「エッ?フツーのですか?」「ンダよ!」
 月曜の朝イチに人に会う予定だから、その日は無精髭だった。店員は、そんな僕の風体を見て、上野公園界隈のホームレス仲間とでも思ったのだろう。
 その足で銀座へと向かった。週刊誌に、ファーバー・カステルなるドイツ製の鉛筆が使い易いと、写真入りで載っていたのですぐ電話したら、東北では扱っている店がないという。
 上京したついでだもの、銀座の有名な文房具店、伊東屋へ行った。週刊誌に載ったせいだ。その鉛筆はほとんどが売り切れ。わずかに残っていた6Bと7B、
―これくらいの濃さが実は川柳人好み―を買った。
 外国製といったって、たかが鉛筆、安いものだ。ゴルフ好き、釣り好き、パチンコ好き、夜の街好きなどとは比べものにならない道楽(散財)である。
 それを買った後、万年筆売り場を通った。それはそれはきらびやかな万年筆は、所狭しと並んでいる。
 いったい誰がこんなン十万もする万年筆を買うのだろう、眼福とはこういうことをいうのかと、ボーッと眺めていたら、隣にスーッと美女が立ち、
「あのー、よろしければ、お出しいたしましょうか」
 僕は一瞬言葉を失ったが、すぐ丁重にお断りをした。
 上野のアンチャンと、銀座のネーチャンのこの差。これは土地柄のせいか。アルバイトと正社員の違いか。僕も商人のはしくれ。大いにベンキョーになった。


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(2008/05/26(Sun) 08:38:05)

霜石コンフィデンシャル62     高瀬 霜石

「ジョン・ウェインはバイリンガル」
 十年前の冬、同居人が大病をした。
 だいたいは、夫が倒れて、妻が看病をするというのがポピュラーで、そういうシュミレーションはわが家でも日頃していたが、その逆はしていなかった。
 ショックは大きかったが、彼女は無事生還した。
 以来、彼女の人生観は一変したのであった。ただ、僕の目から見れば、病をひとつ克服したものの、また別な新しい病気にかかったようなものでねえ。
 僕が名付けた、彼女のながーい病名は・・・
『死んでもジェンコ(銭ッコ)は持っていけないから、時々はパパッと使って人生を楽しもうじゃん症候群』という。(笑)
 この病気にかかると、たいていは『旅行したいしたい病』も併発する。いわゆる合併症ですな。(笑)
 この病気、冬の間は、比較的落ち着いている。でも、春の足音が聞こえるようになるともういけない。
 この病気には、家族の理解と協力がたっぷり必要。僕はとてもおおらかで、喜んで彼女を送り出す。
「音がウルサイ」「血が出る」「人がぽこぽこ死ぬ」「気味が悪い」などの理由で、同居人に遠ざけられている。
《チャンバラ》《ヤクザ》《西部劇》《ギャング》《ホラー》
などの、それは大量のビデオやDVDの出番なのだ。
さあ、待ちに待ったショー・タイム。「霜石コレクション・B級映画館」の幕が開く。
 一本目は西部劇。イッパイやりながらだから、DVDを日本語版にセットする。当然のこと、ジョン・ウェインは日本語を喋っているのだが、突然、英語で話しだしたりするのだ。アレ?と思うと、またすぐ日本語に戻る。しばらくすると、また突然英語になるから不思議。
 実はこれ、テレビで放映された時の「日本語版」をそのまま使用しているせいなのだ。つまり、日本語がない―英語で話して字幕が出ている―シーンは、テレビ放映ではカットされた部分ということなのだ。
 カットされているのは、ストーリーに直接関係のない所。例えば、食事をしたり、世間話をしたりなのだが、本当はこういうなにげないシーンこそが大切。彼のしぐさや会話に、性格や癖や生い立ちがちりばめられていて、一人の人間がじわり浮き彫りになるのだ。
 テレビ映画ちゅーもんは、かくもズタズタ。とても映画と呼べるシロモノではないということを、ジョン・ウェイン叔父さんは僕に教えてくれた。

霜石コンフィデンシャル | Link |
(2008/04/26(Fri) 08:38:05)

霜石コンフィデンシャル61     高瀬 霜石

 「ファーストダンスは私に」
 去年は、百二十数本の映画を観た。これは、僕の周囲に大きなトラブルがなかったことの証明。まことにありがたいことだと感謝している。
 その中の一本。「レッスン」という、実話を元にしている社交ダンスの映画の話をしたい。僕はもともと、社交ダンスなるものに拒否反応があったが、この映画を観て、社交ダンスの見方が百八十度変わったのだから、ある意味、革命的映画かもしれない。
 落ちこぼれたちがたむろするニューヨークのとある高校に、ボランティアで社交ダンスを教えようとする主人公・ピエールがやって来る。
 HIP・HOPが大好きな高校生は、当然のこと社交ダンスなんかに目もくれない。
 しかし、ある日ピエールが絶世の美女と絡み合い、熱くタンゴを踊るのを目にして、彼らの態度は一変。
 罰ゲーム感覚でやむなく取り組んでいた社交ダンスも、まんざらじゃないと思いはじめる。
 ピエールに扮するのが、二枚目のアントニオ・バンディラス。実に格好いいのだ。彼は、生徒たちに賞金をかけたコンテストに挑戦せよとけしかけ、特訓を開始するが、盛り上がった途端に邪魔が入る。
 勉強を優先せねばならぬのに、なんで今、社交ダンスなのだと、正論を吐く教師とPTAの前で、いきなり女性の校長先生(この人も反対派)を、グッと引き寄せダンスのパートナーにして、ピエールが―つまりバンデラスが―華麗に踊る。そして、言う。
「社交ダンスは、このように、パートナーを敬うのが基本。だから、社交ダンスを学んだ子は、間違っても、結婚してから嫁さんに暴力をふるったりしない」
 一瞬、シーンとして、その後、親たちから「親の教室もないの?」と手が上がるのには泣けましたねえ。
 女性には親切に。女性を大切に。僕は、この精神をフェミニスト・手塚治虫から学んだ。
 女性は弱いから、常に男が守らなければいけないと、男の中の男のジョン・ウェイン叔父さんは、いつもスクリーンの向こうから僕に話しかけてくれていた。
 でも、今は、とにかく男女均等。女性は弱い、守らねばならない存在かと、最近の男性は思っていないのかもしれない。多発するDV(ドメスティック・バイオレンス)事件を見る度、そう思う。
霜石コンフィデンシャル | Link |
(2008/03/26(Tue) 08:38:05)

 

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