嵐が丘を越えると幕がひらきます  ますみ

の句を添えて赤松ますみさんから川柳コロキュウム記念大会への参加案内年賀状を見つけた時「ワオ!でも何で私に?」参加するしないはともかく、宿題の句など考えながら過ごした。

ある日娘から「多忙で利用できないでいるクーポンがあるが、旅の予定はないか」というメールが来た。何たるラッキー♪宿泊もよし、食事でもよし、私の中で大阪行きが決まった。

 

学校を出たら花嫁修業という石頭の父に逆らって、事後承諾で大阪市内に就職した。半世紀も前の話である。同じ年頃の娘二十人程の寮生活は本当に楽しかった。寮の会議室でのお茶、お花の稽古、スポーツ大会、海の家、山の家への宿泊旅行、ピクニック、大阪城への散歩、京阪電車で日曜毎出掛けた京都の寺院巡り…今の娘達のようにカラフルではなかったけれど、二十才辺りの三年余の私の貴重な青春の思い出、万博花博を経て大阪は本当に変わったが、今も多くの友人が住む心のふる里である。

 

当日、「乗る前から川柳談義で盛り上がっているよ」という四人に合流した。足が短くて、しかも病気持ちの私、遅れて迷惑をかけない様に帰途の目印のお店などをチェックしつつ雑踏の中を行くと大阪弁が懐かしく耳に入る。ホテルバイキングの昼食を済ませて会場へ。皆さんの再会を喜ぶ姿を横目で眺めながら印象吟に挑戦。何だか意味不明の印象吟に相応しい掲示物だ。自信無いけどオリンピック精神でと、さっさと片付けた。

大会が始まり宿題の「魔法」「夕方」「けれど」「映画」「棚」「情」披講は順調に進んだ。私の句は全没に終った。県外の大会に初参加だったが、今までのどの会とも少し違った風を含んだ色々の川柳に出会うことが出来た。

201307_kantoh またチャンスがあったら遠征してみよう。名古屋まで同行した二人と別れて、そんなことを思いながらホッコリした気持ちで新幹線に揺られて帰った。

 

 

 

 

2013年7月号